野生の勘と生きたい

主に好きなものを言語化する予定

屍鬼

以前から興味のあった屍鬼を先日やっと読み終わった。
もともと高校生くらいの時にSIRENのインスピレーション元ということから興味を持ったが、文庫で全5巻という長さからなんとなく手が出ないままになっていた。そこから数年、残穢(映画化されたやつ、映画よりも小説の空気感が好み)をきっかけに小野不由美さんのホラー作品をよく読むようになったので、屍鬼もそろそろ…と思って読み始めることにした。

 

小野さんの作品なのでどう転んでも面白いだろうと思って読み始めると、期待以上に面白かった。
目立った事件が起きるまでの、所謂日常パートから結構な分量があるにも関わらずどんどん続きが読みたくなる。というより、この日常パートの描写がとても丁寧なので登場人物の解像度が上がって村の情景や人間関係の空気感がリアルに想像できるようになるし、徐々に不穏さが増してくる展開や様々な行動をとる村人達への感情移入も強くなる。この辺は残穢の事件の輪郭がどんどん浮き上がってくる感覚と同じ感じかもしれない。

それにしても、なんとなく皆が不安や嫌な予感を感じつつも「まだ大丈夫」と思ううちにどんどん取り返しのつかないことになっていくあの感じ。規模は違えど日常でも時々起こることなのでちょっと胃が痛くなるというか。敏夫のようにそのことを真っ当に直視して真っ当(彼のやり方を真っ当と呼ぶかは意見が分かれるかもしれないが)に努力出来る人は眩しいなと感じた。

そういう意味では夏野もそういった人間のうちの一人かもしれない。なので、そんな彼が「村から出たい」という気持ちを抱えながらほとんどの人に知られることなく闘って死んでしまった時は寂しい気持ちになった。といっても夏野のその結末も、「たとえ変わってしまったものでも友達は殺せない」という信念に従った結果なので、彼が強い人であることには変わりない。
他の登場人物、徹や律子なども悩みながら自分のことを見つめてそれぞれの選択をした強い人達だ。静信も敏夫が作中で言っているように、その結果が人間に利するものではなかったとしても自分で選択をした人だ。

一方で、状況に流されるままの村人(結局屍鬼だけでなく何の罪もない寺の人間にまで手をかけることになる)や、後書きで言われている「良心」を簡単に捨てさってしまえる恵や正雄など弱い人達もいる。けれど、それが弱いからと言って悪いとは言えない、自分が同じ状況になった時にそちら側にならないと果たして言い切れるのだろうかと思える描かれ方をされている。読者である自分は選択をしないまま物語を読み進めることができるが、もし自分が村人だったらどうなるだろうか、自分の弱さに呑まれてしまわないだろうか。そんな居心地の悪さが常につきまとう作品だった。

一番好きなシーンはラスト付近、静信と辰巳が沙子について話すところ。いつか終わってしまうことを自覚しながら、その間をどう生きるのか悩んで藻掻くモノは美しい。人間の営みから外れてしまったところからそう語る辰巳は、最期に何を思ったのだろう。それともまだ生きているんだろうか。もしも死んでしまったとしたら、その瞬間には安堵していて欲しいと思うのは人間の物差しでの考え方だろうか…なんて、そんなことを考えている。

ちなみに漫画化もされている。漫画の方は夏野が人狼になるために夏野の主人公感が増している。あと登場人物の造形がコミカルな感じ(描いているのは封神演義の藤崎さん、ハンバーグには当時衝撃を受けた)。小説と違って細々と日常の描写をする尺がない分、パッと見で特徴がつかめるようになっている。漫画ベースでアニメ化もされているようなのでいずれ見てみたい。

残穢もそうだけど小野さんの作品は怖いだけでなく、良い方にも悪い方にも作用する人間の想いの深さとか強さとかそういうものを感じるので好きだ。ゴーストバスターズシリーズの続きも楽しみ。あと十二国記シリーズも高校生の時に刊行分を全部読んでそこで止まっているのでまた読みたい…めちゃくちゃ重かった気がするけど…。
とにかく、改めて好きな作家さんだなぁと思った。長編が苦手な人は営繕かるかや怪異譚がおすすめです。